日本における西洋式の「革靴」の生産が本格的に始まったのは明治維新以後です。 明治3年(1970)には近代的な靴工場が東京築地に作られています。 文明開化の掛け声と同時に生産されたのは、主に軍靴でしたが時を経ずして洋装にふさわしい靴の製造もはじまりました。 鹿鳴舘時代と称されるような、紳士淑女のフォーマル靴の需要も高まったのです。 明治5年には浅草、橋場町にも靴工場が作られました。 これには近代皮革産業の三大源流と称される弾直樹の存在が大きくかかわっています。 鎌倉時代より続くとされる彼の家は、徳川幕府より代々皮革取締りの特権を与えられていました。 つまり靴の材料となる革の専売権を持っていたのです。 |
関八州の皮革取締りの特権を与えられていた弾は、浅草亀岡町(現・台東区今岡)に広大な屋敷を構え、三井と並ぶ江戸第一の大富豪といわれていました。 江戸の時代より伝わる皮革・染色などの伝統的技法は弾家の住んだ浅草の地で培われていたのです。 そういった意味で、靴製造業は浅草の観光とならぶ、もっとも古い地場産業の一つといえます。 平成の世になっても、皮革関連の材料・加工・製造は台東区浅草の地に集中しております。 地方の製造メーカー・クラフトマンも材料のほとんどを浅草にて仕入れているほどです。 先人達の培った高い技術と職人気質は綿々と浅草の地で引き継がれているのです。 |